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仙台地方裁判所古川支部 昭和44年(た)1号 決定 1971年10月26日

右請求人に対する強盗殺人・非現住建造物放火被告事件の確定判決に対し、同人より再審の請求があつたので、当裁判所は次のとおり決定する。

主文

本件再審請求を棄却する。

理由

第一、確定判決の存在および本件第二次再審請求に至る経過

(一)  請求人は、昭和三三年一〇月二九日、仙台地方裁判所古川支部において、強盗殺人・非現住建造物放火被告事件により死刑の有罪判決を受け、これに対して順次控訴、上告をしたが、昭和三四年五月二六日、仙台高等裁判所において控訴棄却の、昭和三五年一一月一日、最高裁判所において上告棄却の各判決がなされて右第一審判決が確定したこと、右確定判決によつて認定された事実は「被告人は、昭和二〇年三月本籍地の国民学校高等科を卒業、翌四月宮城県遠田郡南郷村立南郷農学校に入学したが、まもなく終戦となり、学業に興味を失ない同年八月ごろ退学して、同県志田郡鹿島台町所在の関口製材所、渡辺製材所などに製材工として働き、昭和二六年秋ごろ父斎藤虎治が同町内で移動製材業を開業したので、右渡辺製材所をやめ、その後引き続き父の移動製材業を手伝い、その間約半年ぐらいずつ岩手県釜石市で『とび』仕事をしたり、東京都足立区でトラックの運転助手をしたりしたほかは家業の製材業の手伝いに従事していたのであるが、一七、八歳ごろから酒を飲みならい、しだいに飲食店などでの飲酒の度を加え、両親から受ける数千円の小遣銭では遊興の資を充たすのに足りず、着用していつたオーバーコート、雨合羽などや乗つていつた父虎治所有の自転車まで飲食代の『かた』に置いてきたり、二、三年のうちに約二〇回にもわたつて父虎治所有の米を持ち出して飲み代に替えたりしたが、昭和三〇年一〇月ごろまでに同町内の飲食店、旅館、酒店、食料品店、知人などに六、七千円の借財がかさみ、とかく小遣銭に窮していたところ、そのころ、同町平渡字新屋敷下料理店『二葉』こと菅野重蔵方の女中渡辺智子に愛着を覚え、同女と結婚したいとの望みを抱いたが、同女の雇主菅野からは同女に前借金のあることを聞かされ、母ひでには同女と結婚したい旨を打ち明けたうえ、同女が母の気にいつたならば同女との結婚を許してもらいたい旨懇請し、母に前記菅野方を訪ねてもらつたけれども、母の賛成するところとならなかつたので、周囲の反対を押し切り家出しても智子といつしよになろうとまで思い、焦操の念に駆られており、かれこれ金銭の入手に苦慮していたおりから、

第一、昭和三〇年一〇月一七日午後四時ごろ同町内で友人加藤浩と出会い、同人から、さきに被告人らと料理店『二葉』で飲酒した際の飲食代として同人が預り保管していた柔道大会の前売券代金二千円を費いこんで、他から一時借り受けその穴埋めをしておいた金の返済が延引しているため、ふたりの所有物を出し合い入質して金策したいと誘われ、被告人はスプリングコートを持ち出し、右加藤と午後七時二分東北本線鹿鹿島台駅発下り列車で遠田郡小牛田町に赴き、同町小川質店に両人の衣類数点を入質したあと、加藤が同質店から受け取つた二千五百円のうちから、小牛田駅前の屋台店で清酒、焼ちゆう取りまぜコップで三、四杯を飲んだうえ、同町に泊つてゆくという加藤と同駅前広場で別れ、被告人は午後九時四九分発上り列車で、午後一〇時過ぎごろ鹿島台駅に下車し帰途についたが、その途中、前日(一〇月一六日)の午前九時ごろ志田郡松山町氷室字新田一四〇番地小原忠兵衛の妻よし子が被告人方庭先で材木を買い取つていつたことを想い起こし、同人方で普請をするのなら二、三万円の金はあるに相違ないから同人方の寝静まるのを待つて同家に押し入り金員を盗み出そうと考え、自宅には帰らず、自宅附近の株式会社東日本赤瓦製造工場東北工場内で休息しながら時間をつぶし、翌一八日午前三時半ごろ前記小原忠兵衛方に赴き、電灯の点じられていた同家内部の様子をうかがつたが、忠兵衛とは顔見知りなので、いつそ一家をおう殺したうえ金員を盗み取ろうと決意し、同家浴場の壁に立てかけてあつた刃わたり約八センチメートルの薪割り一丁(押収目録番号二はその刃の部分)を携え同家八畳の寝室に至り、まくらを列べて熟睡中の主人忠兵衛(当時五三年)、ついで妻よし子(当時四二年)、長男優一(当時六年)、四女淑子(当時九年)の各頭部を順次右薪割りで数回切りつけ、忠兵衛を頭部右側の割創による脳障碍により、よし子を第四脳室の出血と脳震盪により、優一を脳障碍(あるいは失血)により、淑子を頭部後側の割創による脳障碍により、いずれもそのころその場で死亡させて殺害したうえ、右寝室内にあつたタンスを開いて金員を物色したけれども、現金が見つからないため、金員強取の目的を遂げなかつたが、

第二、その直後、右現場をそののままに放置しておくときは証拠が残るから右犯跡を隠ぺいするため同家屋に放火してこれを焼き払つてしまおうと決意し、同家木小屋から枯杉葉一束を持ち出してきて忠兵衛ら夫婦の死体の頭部あたりに置き、さらに同家入口附近にあつた木くず容りの木箱を持つてきて木くずを右杉葉のあたりにまき散らしたうえ、所携のマッチで枯杉葉に点火して発火させ、よつて同一八日午前四時ごろ、人の現在しない右小原忠兵衛の所有していた約一〇坪五合の木造わらぶき平屋建家屋一むねを全焼させ

たものである。」というものであること、以上の点は請求人に関する確定事件記録および本件再審請求書によつて明らかである。

(二) 請求人は、昭和三六年三月三〇日、仙台地方裁判所古川支部に再審請求(以下第一次再審請求という)をしたが、その再審事由の要旨は、(1)刑事訴訟法四三五条二号、同四三七条によるものとして、高橋勘市の第一審証言は偽証である。(2)同法四三五条六号によるものとして、(イ)鑑定人船尾忠孝作成の鑑定書、同人の鑑定供述、鑑定人北条春光作成の鑑定書および実験報告書、守屋和郎外三名の実験報告書によると、有罪判決の証拠となつた掛布団のえり当に付着している血痕は、請求人の頭髪に付着していた被害者の血液が頭髪からえり当に、または頭髪から請求人の手に付着してそれがさらにえり当に付着したものでないことが明らかであり、従つて、えり当に付着している血痕は捜査機関がねつ造した虚偽の証拠である。(ロ)船尾忠孝作成の血痕検査成績と題する文書、同人作成の松山事件報告書と題する文書、同人の鑑定供述、村山次男・平塚静夫の各鑑定供述によると、請求人が本件犯行当時着用していたとされているジャンバーとズボンには当初から血液が付着していなかつたことが証明されるので、請求人の自供の中にある、犯行後まもなくズボンに手を触れてみたらぬるぬると血液がついていたという趣旨の供述と抵触し、結局右供述部分は虚偽であつたことになり、延いては請求人の自白は全部虚偽のものであつたことに帰着する。(ハ)本件犯行に供されたと称するまき割には被害者の毛髪による条痕があるとされているが、今井勇之進作成の鑑定書によると、まき割には火災のため四〇〇度以上五〇〇度以下の熱が加えられたことが明らかであるから、このような条痕が残るはずはなく、また、同人の鑑定結果によると、五〇〇度以内の加熱では血痕反応が表われるのに、右まき割の血痕反応は陰性であつたというのであるから、まき割を兇器として使用したという請求人の自白は虚偽である。(ニ)被害者方近隣の者の供述によると、本件犯行前に被害者方の電灯は消えていたことが証明される。従つて、右電灯がついていたことを前提として犯行当時の状況を詳述した請求人の自白は虚偽である。(ホ)門間隆夫作成の口述書、TBC録音放送テープによると、請求人が犯行を自供するに至つた経緯に関する高橋勘市の証言は偽証であることが立証されるので、この点からも請求人の自白は虚偽である、というものである。しかし、右第一次再審請求に対しては、昭和三九年四月三〇日、再審請求棄却決定があり、同決定に対する上訴につき、昭和四一年五月一三日、即時抗告棄却決定が、次いで昭和四一年五月二七日、特別抗告棄却決定があり、前記再審請求棄却決定は確定した。以上の事実は前記確定事件記録によつて明らかである。

第二、本件再審請求の理由・証拠

本件再審請求の理由は、弁護人守屋和郎、島田正雄、倉田哲治、青木正芳、樋口幸子、斎藤忠昭、小野寺照東、栃倉光共同名義の昭和四四年六月七日付再審請求書、および弁護人守屋和郎、島田正雄、青木正芳、井上誠、西口徹、高橋治共同名義の昭和四五年一二月二五日付再審請求理由補充申立各記載のとおりであるから、いずれもここにこれを引用する。

弁護人らは、証拠として、木村康作成の昭和四四年五月一日付鑑定書、宮内義之介作成の昭和四四年三月一〇日付鑑定書(中島敏作成の「血痕の血液型検査に関する研究」と題する書面添付)、および石原俊作成の昭和四五年一二月七日付および昭和四六年九月二五日付各鑑定書を提出し、昭和四五年一二月二五日付および昭和四六年九月二八日付各事実調等請求書に基づいて事実調を請求し、検察官手持証拠の開示命令を求めた。当裁判所は、右の提出にかかる鑑定書四通(鑑定参考資料としての、中島敏著「血痕の血液型検査に関する研究」を含む。)を取り調べたほか、証人として平塚静夫、宮内義之介、木村康を尋問し、仙台地方検察庁古川支部検察官に対して、弁護人らのなした昭和四六年九月二八日付検察官手持証拠の開示命令を求める請求記載証拠の有無等について照会し、前記確定事件記録を取り寄せた。

第三、当裁判所の判断

一、ジャンバーとズボンの血痕反応について

(一)  請求人の主張の要旨は次のとおりである。すなわち、請求人の自白調書によると、請求人は犯行時返り血を受け、帰途ズボンにさわつたらぬらぬらしていた、というのであるから、ズボンとジャンバーには相当量の血液が付着していたと考えられるが、他面、同調書によると、犯行の帰途ズボンに土をまぶして水洗し、その後ジャンパーとズボンをそれぞれ一回洗濯した、ということになつている。ところで、血痕検査の方法として新しく発見されたフィブリン平板法ではどんな微小な血痕でも日時の経過に関係なく検出することができるから、鑑定人宮内義之介、木村康らに依頼して、同人らが右の方法によつて本件のジャンバーおよびズボンの血痕反応を調べるとともに新たに本件のズボンおよびジャンバーと同質の布地に血液をしみこませ、右の自白調書にあるような水洗と洗濯をした後、同一検査方法で血痕反応を実験した結果、同人ら作成の各鑑定書記載のとおり、前者については陰性を、後者については陽性を呈した。このことはジャンバーとズボンに一旦付着した血液が、洗濯や日時の経過で消失したのではなく、当初から血液が付着していなかつたことを意味するものである。してみれば、右の各着衣に血液が付着していたという請求人の自白が虚偽であることに帰着する。よつて、新たな証拠である右各鑑定書および鑑定人の証人尋問と、捜査初期においてジャンバー、ズボンの血痕有無を鑑定した平塚静夫の取調べを求める、というものである。

(二)  按ずるに、当裁判所における証人平塚静夫の証言によると、同人が宮城県警察本部鑑識課に勤務していた昭和三〇年一二月に、本件ジャンバーとズボンにつき血痕反応を調べるため、肉眼でみて血痕と思われたしみのある部分についてベンチジン法による検査をし、さらにズボンの全面にわたつてルミノール反応検査をしたところ、ズボンの一個所から僅か豆粒大の血痕反応より得られなかつたため、同証人はこれら衣類には当初から人血が付着していなかつたと判断したことが認められる。ところで、請求人は、前記のとおり第一次再審請求においても、ジャンバーとズボンには当初から血液が付着していない事実を主張したが、平塚鑑定人の検査方法は精密なものであつたとは認められないこと(仙台高裁昭和四一年五月一三日決定三三頁)および血液の付着の仕方、血液が付着してから同人の検査に付されるまでの間の洗濯の仕方、洗濯までに乾燥したかどうかという条件如何によつて血痕検査成績が陰性になる可能性もあること(仙台地裁古川支部決定二四枚目表)、を理由として前記主張は否定されたこと本件確定事件記録上明白であり、当裁判所における平塚証人の証言をもつてしても、第一次再審請求において示された前記判断を変更すべきものとは考えられない。

(三)  次に、鑑定人宮内義之介作成の鑑定書には本件のジャンバーとズボンには当初から人血は付着していなかつたと記載されているが、右鑑定書および証人宮内義之介、木村康の各証言によると、その鑑定方法は、本件ジャンバーの布地に類似するコール天地とズボンの布地に類似する綿ギャバジン地にそれぞれ二〇CCの人血を付着させ、三〇分経過後のものから二四時間経過後のものまで六種類に分けてそれぞれ砂をかけてもみ洗いをし、さらにこれらを常温の室内に保存したうえ、前者については九日目に、後者については二九日目に固形の洗濯石鹸で洗濯し、次いでそれら布地の表面をもんだりたたくなどした後乾燥させたうえ、フィブリン平板法によつて血痕反応を調べたらいずれも陽性を呈したが、他方、本件のジャンバーとズボンを右フィブリン平板法で血痕反応を調べた結果が陰性であつたことと、フィブリン平板法によれば、極めて微量の資料によつても血液の種類が証明され、水洗のみでは七回洗濯しても陽性反応を示し、洗剤添加の洗濯では三回目にやつと陰性になる旨の中島敏著作にかかる血痕の血液型検査に関する研究報告書とを総合考察して前記のとおり鑑定したことが認められる。

(四)  そこで、宮内鑑定の重要な根拠となつた右研究報告書を検討すると、同報告書においても、温湯による処理を受けた血痕は早期に陰性化することが認められるばかりか、証人木村康の証言および小林宏志、富田功一作成の「血痕検査に及ぼす各種洗剤の影響について」と題する研究報告書第一報(科学警察研究所報告一九巻一号所収)および同報告書第二報(同上一九巻二号所収)によると、洗濯に使用する洗剤の種類や、血痕付着物を常温の室内に保存したか、空気、日光等に晒したまま放置したかどうかによつてもフィブリン平板法による検査に影響を生じ、検査の結果陰性になることもあり得ることが認められる。しかるに、宮内鑑定では前記のとおり、ジャンバーとズボンについて加えられたと同じ条件による洗濯方法としての水洗、血痕付着後洗濯までの日数および洗濯回数を同質の布地を使用して実験しただけであつて、第一回目の洗濯時に泥をまぶして洗濯したというのに砂を用いた点をはじめ、第二回目の洗濯時にどのような洗剤を使用したのか、温湯で洗濯しなかつたかどうか、熱湯を加えなかつたかどうか、アイロンによる加熱があつたかどうか、さらには外気、日光に晒すなどの保存方法等、血液検査の結果に重要な影響を及ぼす諸点について、両者が同一条件であつたとは言い難く、また、宮内鑑定に付されるまでの間に、請求人の自供調書により認められる以外の条件が加えられなかつたという証明に至つては全く存在しないことが認められる。のみならず、宮内鑑定に付されるまでには平塚鑑定、船尾鑑定等によりジャンバーとズボンに薬品が加えられたり、血液付着部分と認められる個所を切り取つたことは明らかな事実であり、当裁判所における証人平塚静夫の証言、第一次再審請求事件における鑑定証人村上次男の供述(再審事件記録二一冊の一五、二八八丁)によると、検査試薬が加えられることによつてその後の検査成績に影響を及ぼすことが認められるので(従つて、この点に関する宮内義之介、木村康の証言中、ルミノール反応検査やベンチヂン検査がその後のフィブリン平板法による検査に対しては全く影響を及ぼさないという部分は信用できない。)、右宮内鑑定の結果をもつてしても、本件のジャンバーとズボンに当初から血液は付着していなかつたという事実を認めるには足りないというべきである。また、木村康作成の鑑定書には、右ズボンにつき、フィブリン平板法を含む各種の検査をしたが、何れの方法によつても陰性であつたこと、および右の結果を得たのは既に検査資料を消費したためと考えるのが妥当である旨記載してあるに過ぎない。要するに、以上の両鑑定は請求人について無罪を言い渡すべき明白な証拠ということはできない。

二、ふとんえり当の血痕の問題

(一)  請求人が再審開始を求める第二の理由の要旨は、請求人を有罪とした証拠の中に掛ふとんのえり当、これを撮影した司法警察員作成の昭和三〇年一二月八日付捜索差押調書添付の写真および右のえり当に関する三木敏行作成昭和三二年三月二三日付鑑定書があり、右の鑑定書ではえり当に付着していた血痕の血液型と請求人の血液型が一致するとされているが、右の捜索差押調書添付写真と右の鑑定書添付の写真とを比較すると、肉眼で血痕と認められるものは前者については僅か一個所より存在しないのにかかわらず、後者には多数存在する。右の事実はえり当を司法警察員が押収してから三木鑑定人の手に渡るまでの間に、警察関係者によつて工作されたもの、換言すれば、えり当に付着されている血痕はねつ造されたことを意味するが、さらにこの点を明らかにするため、新たな証拠として石原俊作成の昭和四五年一二月七日付および昭和四六年九月二五日付各鑑定書および証人として後藤孝、酒田信吾、遠藤重夫、鈴木辰治、伊藤寛二、亀井安兵衛、佐藤好一の取調べを求めるとともに、右石原鑑定を補強するため、右のえり当がついていた掛ふとんは元来請求人が使用していたものでなく、同人弟彰が使用していたものであることを一層明白にするため証人として斎藤彰の取調べをもあわせて求める、というにある。

(二)  よつて検討するに、請求人の右主張は証拠物とされたえり当が変造されたもの、従つてこのえり当を鑑定した三木鑑定書の証拠価値は無くなるということになるが、これらについて刑事訴訟法四三五条一号または二号の要件が満たされておらず、また、同法四三七条の証明もないから右主張部分は採用できない筋合である。しかも、右の点を論外として考察しても、前記石原俊作成の各鑑定書による鑑定経過および鑑定結果は、前記三木鑑定書添付写真に基づいて血痕付着のえり当を復元作成し、これを、菅原利雄の証人尋問調書から知り得るところの前記捜索差押調書添付写真を撮影した時と同じ条件の下に撮影したところ、肉眼的にみても多数の血痕が見えるように写り、前記捜索差押調書添付写真とは明らかに異なつた写真ができた、というにあること同鑑定書の記載自体で認められるところ、同鑑定によつても、復元作成されたところの血痕付着のえり当が、もとの三木鑑定に付された当時のえり当と比べてえり当自体のよごれ方や付着していた血痕の色、濃度等同一であつたと認められる証拠はなく、他面、捜索差押調書添付写真においても、仔細に観察すると多数の血痕が付着しているのを確認できること第一次再審請求事件における昭和三九年四月三〇日付当裁判所決定で判断済のことであり、また、捜索差押調書添付写真と三木鑑定書添付写真とで血痕が同一に写つていないことは、有罪判決確定後始めて明らかになつたのではなく、第一審判決当時において判明していたものであり、それをふまえてなお請求人は有罪であると認定されたことが明白であるから、今回の石原鑑定書をもつてしては、前記三木鑑定に供されたえり当の血痕が捜査機関によつてねつ造されたものであるという事実を認めるに足るものではなく、従つて、これが請求人に対し無罪を言い渡すべき明白な証拠であるとは認められない。

(三)  なお、請求人は、ほかに、ふとんのえり当に関し石原鑑定を補強するものとして、前記の掛ふとん使用者が弟である点を含む数点の事実を主張しているが(再審請求理由補充申立書一〇頁ないし一九頁)、これらは第一次再審請求において主張し判断されたことの同一事実の主張に過ぎないから、新しい証拠の提出がなくして再びこのような主張の許されないこと多言を要しない。従つて、例えば掛ふとんが請求人弟彰の使用物であつたとして取調べを求めている斎藤彰に関しては、すでに第一審において取り調べられており(確定記録二一冊の七、一五七丁以下)、同人の証言として、掛ふとんは自分のものであるとか自分は鼻血を流すくせがあり、えり当についた血痕が同人の鼻血によるものであるかのような供述をしているにもかかわらず、えり当に付着した血痕の血液型と右証人の血液型が異なるという理由で右証言が信用できないと判断されているから(仙台高等裁判所昭和三四年五月二六日判決八丁)、このように取調済の証人につき、前と同趣旨ないしはそれを補充強化する趣旨のいわば同方向の供述が予想される場合に、これをもつて新規性のある証拠ということはできないし、掛ふとんの押収捜索その他の捜査の経過やえり当を写した写真のネガの保管問題について証人として取調べを求めているその余の者についても、請求人の主張する事実が同人らによつて立証される可能性がある程度証明されないまま漫然と証拠調に入ることは許されず、しかもこれら人証が判決確定前には取調不能であつて確定判決後に始めて判明したという証明もないので、結局は新規性を欠くというよりほかはない。よつて、前記主張の内容の判断にたち入るまでもなく、排斥を免れない。

三、消えていた電灯の問題について

(一)  請求人は、第三の再審事由として、請求人の自白調書の中には、被害者宅を高台下の道路からみたら電灯の光が洩れていたとか、家の中に入つたら電灯がついていて明るかつたとか、その他、明るい電灯のもとでなければ認識できないような殺害の具体的状況に関する自白部分があるが、当時、被害者方の電灯は既に消えていたから、結局、自白調書には真実に反する虚偽の自白がなされていることに帰着して、右自白調書には証拠能力がなく、請求人は無実である。よつて、消燈事実を立証するため、上野真一、矢吹徳之進、尾形靖、小和田定夫の証人尋問と検察官手持証拠の開示を求めるものである、というにある。

(二)  しかし、請求人の右主張は第一次の再審請求においても主張し、すでに判断されているから、新たな証拠の提出がなければ刑事訴訟法四四七条二項に違反することに帰着するので、右証拠が新たな証拠となるかどうかについて検討するに、右証拠中証人として申請のあつた者については、第一次再審請求の際に取調不能であつて今回新たに発見されたものであることを認めるに足るものはないから、新規性があるということはできない。また、検察官手持証拠の開示を要請するもののうち、検察官手持証拠全部の開示を求めている分については、証拠の特定がないところ、手持証拠の有無不明のままその開示命令(「開示」というが、それは提出命令を発して差押することかどうかは別として)を発することはできないと解すべきであるから、右請求は失当であり、また、一部証拠を特定して開示を求めた分については、検察官に照会した結果、上野真一と尾形靖について、同人らが被害者方の火災発生を知つてから現場に行つた時の状況を調べた調書はあるが、事件発生当時被害者方の電灯が消えていたかどうかの点については何ら取調べていないため、その記載のある書類はない旨の回答があつたので、請求人の主張事実を認め得る新たな証拠が右検察官手持証拠の中にあるとは認められず、その提出を求めることはできない。

(三)  以上の点以外に請求人が主張している事実や、提出または引用している証拠はすべて第一次再審請求において審理、判断されているものである。従つて、これは、同一の理由によつて更に再審の請求をしていることに該当し、不適法というより外はない。

四、再審請求を補強するものについて

請求人は、再審事由を補強するものとして、高橋勘市が警察署の房内で目撃したという請求人の言動に関する証言は偽証であること、請求人の自白には、犯行の動機、犯行現場に至る迄の経過(時間や道筋)、犯行現場での行動、犯行後の状況について不合理な点が多いことを掲げ、これらの点は再審事由とあいまつて請求人の無実を証明するに十分である、と主張する。

しかし、補強されるべき再審事由がいずれも理由のないこと前記のとおりである以上、右の諸点は独立の存在意義を有するものでないばかりか、すでに第一次再審請求においても同一主張があり、高橋勘市の証言については偽証とは認められないと判断されているし、また、自白の非合理性に関する主張は、第一次再審請求における抗告審の決定において示されているように(仙台高裁昭和四一年五月一三日決定五九頁)、第二審または上告審の審理において詳細に判断されているもののくり返しにすぎないうえ、請求人の指摘した証人調べや現場検証は第一次再審請求が棄却された後に発見された新規の証拠とは認められないので、右各主張を許容することはできない。なお、再審裁判所は再審を開始するかどうか決定するに当つて心証形成をやり直すものではなく、有罪判決の心証を受け継ぎ、新たな証拠によつてその心証をくつがえすことができるかどうか判断するものであるから、本件犯行の動機、犯行現場までの経過、犯行直前直後の行動、帰途等についてその自白の中に表われた事実それ自体が通常の経験則にてらして不自然であるかどうか判断することは確定判決の心証形成そのものに立ち入ることになるのであつて、再審裁判所の権能の外にあるというより外はない。

五、その他

確定判決において請求人が有罪と認定された証拠の中には、請求人が警察の留置場内の壁にきざみ込んだ罪を悔いる趣旨の落書に関する鑑定書や、犯行に使われたまき割の刃体、請求人が勾留質問において裁判官に対し自白した調書がある。そして、右の落書が請求人の筆跡であることは鑑定の結果によつて認められているし(確定記録二一冊の七、二ないし一一丁、仙台高等裁判所昭和三四年五月二六日判決二一丁)、また、第一次再審請求事件における村上、赤石両鑑定人の鑑定結果によつて、まき割の刃体から血痕反応検査の予備試験で陽性の成績を呈したことが証明されたことによつて(再審事件記録二一冊の一七、一〇一五ないし一〇八丁四丁、一一〇二ないし一一七二丁)、まき割で被害者の頭部を強打して殺害せしめたという請求人の自白の真実性が更に強く裏付けられたことになり(第一次再審請求事件における仙台高等裁判所昭和四一年五月一三日決定五一頁)、更に、裁判所の裁判官の面前における勾留質問の際に自白していることも(確定記録二一冊の五、一三二丁)自白の任意性を裏付けており(仙台高等裁判所昭和三四年五月二六日判決三丁目一行)、留置場内の同房者高橋勘市の証言(これが偽証と認められなかつたこと前示のとおりである)にみられる房内における請求人の挙動は、請求人の自白の任意性のみならず真実性を立証するものと認めることができる。請求人が主張するように、請求人が無実であつて、有罪判決の基礎となつた証拠は警察がねつ造したものであるとか、請求人の自白が警察官から強制されてしたものであるとするなら、右に述べた証拠の存在がこれと明らかに矛盾する。そして、刑事訴訟法四三五条六号に基づいて再審を開始するには、単に有罪判決の基礎となつた証拠の一部が虚偽であることが証明されただけでは足りず、他の証拠の真実性をもゆるがすに足るものたることを要すると解すべきである。

したがつて、例えば、ジャンバーとズボンに当初から多量の血液は付着していなかつたという可能性が仮に認められ、そのため犯行から間もない頃にズボンに手をふれてみたらぬらぬらと血液がついていた、という請求人の自白部分が虚偽であるという可能性がでてきても、右に掲げた証拠の証拠価値まで否定されることにはならず、結局、請求人の自白の真実性が根底からくつがえされることにはならないわけである。そして、右の場合には、有罪の心証が動揺せしめられることにはならないから、再審を開始することはできない。請求人に関し、このような新しい証拠の存在は認められない。

六、結論

以上のとおり、請求人の提出にかかる証拠によつては第一次再審請求に対してすでに示された判断を変更すべきものとは認められず、したがつて、本件再審請求はいずれもその理由がないので、刑事訴訟法四四七条によりこれを棄却することとし、再審手続費用の負担について刑事訴訟法一八一条一項但書を適用して主文のとおり決定する。

(昭和四六年一〇月二六日仙台地方裁判所古川支部)

(太田実 斎藤清実 平良木登規男)

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